« 傑作SF映画選『モノリスの怪物―宇宙からの脅威』1957を観る | トップページ | 本・本・本2 »

2014年4月16日 (水)

オルガ・トカルチュク『逃亡派』を読む

トカルチュク「昼の家、夜の家」に次いで2冊目。ところで今、佐藤健寿『奇怪遺産2』を見ている最中だが、「クンストカメラ」が出てくる。この本と同じ胎児の写真やルイシュの簡単な説明が出てくる。一体どうなっているんだ、この偶然は!
「昼の家、夜の家」はブログ的だった。今回の本はよりネット的というか、ネットサーフィンしているような気になる。気になる用語や事柄があると本文にある「ウィキペディア」にちょっと深入りする。しかし彼女のいうようにウィキでは言葉に表せないものもある。それをなんとか表現しようとする試み。例えばクニツキの話と「カイロス」、彼の妻の神との一瞬の邂逅。クニツキは神の前髪を掴むことができたか。これはウィキには書けない。冒頭の大河の直線図はまるで神経線維のよう。こっちはいずれウィキに載るか、それとももうリンクされているのか。表題の逃亡派の布巻き女は諸星大二郎の「不安の立像」みたく思えたが、実際逃亡派というキリスト教の宗派があるという。本書を覆う解剖学の執拗さ、それは人間を断片にし魂を探す作業だともいう。対照的な「旅行心理学」の乾いた講義。ほとんどの旅行者と同じく、頭に入らない。ネットの大半の情報のように。この本は世界の表面を周るとともに、人の体をばらばらにする。恰も断片を並べれば、全体が判るかのように、しかしこの本のどこかにあったが宇宙の大半は暗黒物質からなっていて、そうはいかない。未踏の地はあるのだ。本の帯には斬新な「紀行文学」とある。そういえばハンガリーのエステルハージ『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って』も良かったな。こっちは本格的だけど。

|

« 傑作SF映画選『モノリスの怪物―宇宙からの脅威』1957を観る | トップページ | 本・本・本2 »