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2012年9月

2012年9月19日 (水)

『マインズ・アイ』上巻1992 編著ホフスタッター、デネットを読む

副題:コンピュータ時代の「心」と「私」  スタニスワフ・レムの短編が読みたく10年ほど前に買った。最近残務整理のような気持ちで積読本を読み始めている。そうは言ってもまたフラバルの『厳重に監視された列車』を買ったしまった・・・。この本マインズ・アイの方だが、コンピュータは人間になれるか、また人間はどうして人間なのかについて議論している。その意味では下手なSFのアンソロジーより興味深い。一番面白かったのはあのアラン・テューリング(普通はチューリングか)の「計算機械と知能」とそれに続くホフスタッターの「テューリングテスト‐喫茶店での会話-」、テューリング自身はテレパシーのような超感覚を用いる以外、いずれ機械と人間は区別できなくなるだろうと述べている。ただ編者もコメントしているように、これが書かれた1950年にはテレパシーの存在がかなり信じられいたという時代背景がある。そのあとの「テューリングテスト」では思考、意識、感情というものが議論されている。先日将棋でコンピュータが元名人に勝ったが、そのコンピュータは勝ちたいと思ったろうか、勝負という意識があったろうか、勝って嬉しかったろうか。それに類したことが議論されている。本文と離れるがチューリングは42才で自殺している。当時英国では犯罪だったホモ行為で有罪になり、刑務所かホルモン療法のどちらかの選択を迫られホルモン療法を受けていたという。そういう面で本来のテリューリングテストの男女を見分けるテストについて、あれだけむきになって論じていたのが分かるような気がした。やはり人間に感情は必要なのだ。レムの短編「王女イネファベル」も良かったが、ミーダナーの「動物マーサの魂」「動物マークⅢの魂」も面白かった。もしこの編者二人が諸星大二郎の「無面目」を知っていたら、この本に載せていたかも知れない。瞑想(思考)で神にはなれるが、人間になるためには意識、感情を得なければならない。これは多分レムのゴーレム XIVにも通じるものだろう。下巻も読んでいるが面白い。

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