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2012年6月

2012年6月30日 (土)

サムコ・ターレ『墓地の書』を読む

東欧の想像力8。スロバキアの小説。サムコ・ターレ、ウンコ・ターレ。駄洒落と奇妙なリズム感のある小説。はじめの数ページで山下清を思い、そのあと魯迅の「阿Q正伝」を思った。それで青空文庫で「阿Q正伝」を読み直した。「墓地の書」と共通点が有るような無いような。ただ阿Qが入れば、サムコ・ターレの名前のリストのQの部に阿Qは二人目となってよりリストを完璧にするだろう。この本は、チェコ、ハンガリーとの反目、サムコ・ターレのジプシー、芸術家への嫌悪、共産党礼賛を明らかにする。しかしエリク・ラクにかけられた呪いは最後まで明かされない。サムコ・ターレは知的で慎重だから。そうだろう?そうだとも。老いぼれグスト・ルーへの予言は遂行された。結局世界は死んだ者とこれから死ぬ者からなるのだから、サムコ・ターレの記述はまったく正しい。この本にはユーモアがある。サムコ・ターレは阿Qのような阿呆ではない。しかし両者の前に開かれている世界はいずれも阿呆な世界だ。

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2012年6月21日 (木)

『郡司信夫の「採点」録』1998読了

副題:世界ヘビィ級王者列伝と日本ボクシング秘話 郡司信夫はこの本を書いた翌年1999年に亡くなっている。世界ヘビィ級王者列伝は大抵のボクシングファンなら知っている王者の話。私はロングカウントのジェン・タニーの中の記述が好きだ。「戦後タニーは二度日本に立ち寄ってはいるが、日本のボクシング界とは何の関係も持たなかった。冷たい男である。」やはり面白いのは後半のボクシング秘話だろう。如何に郡司信夫がボクシングを愛していたか、またボクシング界のあるべき姿を提示し続けてきたか分かる。昨日ようやく井岡・八重樫戦が行われ評価が高かったが、日本ボクシング初期の頂上決戦ピストン堀口・笹崎戦、ピストン堀口・玄海男戦なんかを見て来た郡司信夫にとって、いまさらという感じだろう。旧態依然、世界から取り残された日本ボクシング界、逆行さえしているようにも見える。この本には解説も含めて昔のボクサーにはインテリジェンスがあったと書かれている。それは学歴ではない物事に対する対峙のしかた、身についた知性のことだろう。また郡司信夫は言う。「僕がボクシングを観続けるのはボクサーには嫌な奴がいない、本当に純真で、たいしたものです、ボクサーは。」

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2012年6月14日 (木)

『私の父 モハメド・アリ』ハナ・アリ読了

モハメド・アリの娘の偉大なる父への賛歌。アリの詩と父子の写真が挿入されている。原題は「MORE THAN A HERO ヒーロー以上」はスター・ジョンの傑作SF「MORE THAN HUMAN 人間以上」からとったのかな。アリのエピソード「今夜の俺はルイスでいい」は良いな。あとアリの友人ジーン・キルロイが出てきたが、このラスベガスの何でも屋はまだ健在なのかな、昔のナンバーでアリの友人のその後という取材記事にもいたはず。あとハナ・アリがケン・ノートンの娘と友達とは!2001年翻訳出版か、確かにアリはヒーロー以上で人間以上だった。10年ほど前思わずアリの超豪華写真集を購入した身としては感慨深い。ああアリよ永遠なれ。

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2012年6月13日 (水)

カルペンティエール『ハープと影』を読む

カルペンティエール、翻訳本最後の一冊読了。この世界を球形に閉じた男、クリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)の話。ある意味、水木しげるの近藤勇伝『星をつかみそこねる男』を思いだす。共通するのは、時流にのりかけ、最後に挫折する男たち。ただここで描かれるコロンはイスマイル・カダレの『災厄を運ぶ男』でもある。新大陸は果たして白人に発見されて幸せになったのか、後戻りするには足跡は失われており、痕跡を残すのみ。カルペンティエールはラテン・アメリカのアイデンティティを求めていたのか。失われた足跡を探すためあれほどまでの言葉と知識を必要としたのか。カルペンティエールは、決して読み易いとは思わないが、何か真理を探求する求道者のような気がして、ついその世界に引き込まれる作家だ。

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2012年6月 7日 (木)

恩人レイ・ブラッドベリ

ブラッドベリが死んだ。私をSFの世界に連れてってくれた最大の恩人。『ウは宇宙船のウ』衝撃の一冊、この本から長いSFの旅が始まった。当時絶版だった『火星年代記』を先輩から借りたこともある。『刺青の男』『何かが道をやってくる』『たんぽぽのお酒』『ハロウィンがやって来た』・・・最後に読んだのは、『塵よりよみがえり』確かSF作家じゃないと言って早川は青背からNVになったのにWIKIには相変わらずSF、幻想、怪奇作家とある。しかしSFの最後の巨人が亡くなったのは間違いない。生粋のブラッドベリアンに成り損ねた私だが、寂しい。

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2012年6月 1日 (金)

カルペンティエール『春の祭典』読了

ようやく読了。相変わらず文字が多い上、かなりの長編。だが傑作。ロシア革命、スペイン内戦、キューバ革命と愛の物語。亡命ロシア女性バレリーナとキューバのブルジョアの青年とストラヴィンスキーの「春の祭典」の物語でもある。マンガの一コマの方が文学より情報が多いと言ったのは筒井康隆だったか。しかしこの小説はとにかく情報量が多い。カルペンティエールは文字数と表現で凡庸なマンガを凌駕しているとも言える。この小説はカルペンティエールの小説の中でも特に躍動感が強い。政治小説と言えば解題にもあるようにキューバ革命万歳小説ということになるかも知れないが、やはりそんな単純なものではないだろう。フリオ・コルタサルの『かくも激しく甘きニカラグア』 と共通するラテンアメリカ特有の政治事情もあるだろう。この本は、歴史小説としても、恋愛小説としても、無論バレエ小説としても秀逸だと思う。いつもカルペンティエールを読むと絵画的と言っているがこの小説もそう、カリストとミルタの「春の祭典」の光景が目に浮かぶ。自分なりの捉え方だがこれが「マジック・リアリズム」なのだろう。とにかく圧倒的な情報量で隙間なくイメージを眼前に露にする。疲れたけど、素晴らしい読後感だった。

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